1999年の「日本の棚田百選」の選定から実に23年の歳月を経て、今年ついに新百選が発表されました。棚田保全史においてこの新百選にどんな意義があるのか?前百選との違いはあるのか? 選定省である農林水産省の堂元 咲子さん、そして選定委員でもある棚田ネットワークの中島 峰広名誉代表の解説で探ります。
『つなぐ棚田遺産~ふるさとの誇りを未来へ~』の取り組みについて
農林水産省農村振興局農村政策部地域振興課
中山間地域・日本型直接支払室 堂元 咲子
はじめに
日本の棚田の多くは、長い歴史を有し、国民への食料供給にとどまらず、国土の保全、良好な景観の形成、伝統文化の継承等に大きな役割を果たしてきました。こうした多面的な機能を有する棚田について、その保全活動を推進すること等を目的として、農林水産省は平成11年に、優れた棚田134地区を「日本の棚田百選」として認定しました。しかしながら、棚田地域の現状は厳しく、担い手の減少や農家の高齢化等により従来のような保全活動が難しくなり、棚田は荒廃の危機に直面しています。
このような現状を捉え、令和元年には待望の棚田地域振興法が施行され、その趣旨に基づき、着実に、棚田地域の振興に向けた取り組みが広がっています。
そこで、農林水産省では、棚田地域の振興に関する取り組みを積極的に評価し、国民の皆さまに、棚田地域の活性化や棚田の有する多面的な機能に対するより一層のご理解とご協力をいただくことを目的として、改めて優良な棚田を認定するポスト棚田百選の取り組みとして、「つなぐ棚田遺産~ふるさとの誇りを未来へ~」を実施しました。
ポスト棚田百選の名称について
国が「棚田地域の振興に関する基本方針」を定め、この基本方針を勘案して都道府県は「都道府県棚田地域振興計画」を策定します。
本取り組みを広く周知するために、以下の3つの条件を満たす名称を公募しました。
① 維持・保全等の努力の上に成り立つ優れた棚田を評価する趣旨を表す名称
② 選定されたことで、棚田を維持・管理する人が勇気づけられる名称
③ 棚田を身近に感じられる親しみやすい名称
農林水産省のホームページに応募フォームを設け、1か月間募集を行ったところ、全国から473件もの応募がありました。
応募された名称は、「つなぐ」などの文言を含む将来への継承や希望をイメージさせるものや、「日本」という文言を含む日本人の心や日本の原風景、日本の自然などをイメージさせるもの、「ふるさと」や「故郷」などの文言を含む懐かしさを感じさせるもの、「遺産」などの文言を含む時代や歴史の移り変わりを感じさせるものが多数を占めていました。
外部有識者からなる委員会で議論したところ、取り組みの名称としてふさわしいものとして「つなぐ棚田遺産~ふるさとの誇りを未来へ~」(以下「つなぐ棚田遺産」)に決定されました。「つなぐ」という文言には、「未来へ引き継ぐ」という意味や「人と人とを繋げる」という意味が込められています。
選定・認定について
つなぐ棚田遺産の選定基準は、外部有識者からなる選定委員会において、日本の棚田百選の選定基準を踏まえつつ、令和元年に施行された棚田地域振興法の基本理念の視点を加え次のとおり設定されました。
① 次の要件を満たす棚田であること
・積極的な維持・保全の取り組みがなされ、今後もその取り組みが継続される見込みがあること
・原則として、勾配が20分の1以上の一団の棚田が1ha以上あること
・棚田を含む地域の振興に係る取り組みに多様な主体・多世代が参加していること
② 次の項目のいずれかに関する取り組みが優れた棚田であること
・農産物の供給の促進
・国土の保全、水源の涵養
・自然環境の保全
・良好な景観の形成
・伝統文化の継承
・棚田を核とした地域の振興
つなぐ棚田遺産の募集をしたところ、全国から多数の推薦がありました。令和4年2月14日に開催された外部有識者からなる選定委員会において、これらを選定基準に基づき審査したところ、271棚田がつなぐ棚田遺産として選定されました。
また、つなぐ棚田遺産の取り組み周知を図るために、「つなぐ棚田遺産ロゴマーク」を作成しました。ロゴマークは、山間部に位置する「棚田」を「山」と「稲穂」をイメージしたイラストで表現するとともに、日本を象徴する「日の丸」と掛け合わせたデザインとしています。つなぐ棚田遺産に認定された地域の皆様に、幅広く活用いただくために、農林水産省に使用規約を掲載しています。
なお、選定された棚田は、令和4年3月25日につなぐ棚田遺産認定式(WEB)を開催し農林水産大臣名での認定証を授与しました。
つなぐ棚田遺産 選定棚田一覧
つなぐ棚田遺産 解説
棚田ネットワーク 名誉代表 中島 峰広
ポスト棚田百選といわれる「つなぐ棚田遺産」が2022年3月25日に農林水産大臣名により正式に認定された。
そこで、最初に「棚田百選」と「つなぐ棚田遺産」との連続性をみてみると、134か所の「棚田百選」のうち「つなぐ棚田遺産」にも選ばれているのが95か所あるのに対し、全体の29%に当たる39か所が百選で十分とする所のほか耕作放棄などによる荒廃が進み申請しなかった所だと思われる。これに対し、「百選」の折には落選し、「遺産」に選ばれた地区が山形県村山市中沢、静岡県松崎町石部、滋賀県高島市鵜川の3地区であり、保全に向けての努力が報いられたものと思われる。これらの地区を除く新しく「つなぐ棚田遺産」に選ばれた173か所も同様に保全活動に励まなければならないであろう。
「百選」と「遺産」の両者を比較してみると、前者が棚田景観を重視したのに対し、後者では棚田保全が重視されたことが窺われる。その一つの証が後者では対象面積が保全を主眼とするため広域に及び、傾斜20分の1以上にある水田面積が100㌶以上ある地区が山形県大蔵村四ケ村、山形県白鷹町白鷹北部地区の棚田群、山形県遊佐町白井新田の藤井棚田、新潟県上越市清里区櫛池の棚田群、石川県羽咋市神子原地区の棚田群、長野県小谷村の棚田群、高知県本山町土佐・本山・天空の棚田群、熊本県山都町白糸台地棚田、宮崎県高千穂町の川登棚田群など9か所ほどある。これに対し「百選」では面積が100㌶以上の地区は一つもなく、最も面積が大きい地区でも岡山県久米南町北庄の88㌶であった。
このように棚田保全を重視したことは、選考の1項目になっている力を入れている取り組みが何かという質問に対し、地域振興47%、国土保全22%、農産物供給14%に対し景観形成は9%にすぎないことからも明らかである。
図は「つなぐ棚田遺産」を都道府県地図により、棚田団地ごとに規模別(10㌶未満、10~30㌶未満、30㌶ 以上)、法面構造別(土坡●・石積み■・複合▲)に分類して示したものだ。図に示される最北の棚田遺産は北海道上川郡東川町の棚田で大雪山系の旭岳西麓にあるのに対し、最南端は鹿児島県指宿市尾さがり下の棚田で開聞岳に接するカルデラ湖・池田湖の東岸にある。
分布密度でみると、新潟県頸城地方、阿蘇外輪山周辺、肥前棚田街道とよばれる地域が三大卓越地。頚城地方は十日町市・上越市・柏崎市にまたがる頚城丘陵が占める地域である。頁岩・砂岩・泥岩などからなる地盤の弱い第三紀丘陵によって占められ、地辷りの常習地であることから棚田の造成が容易であったこと、また全国一の多雪地帯であるため融雪水を灌漑水として利用できたことなどの理由によるものと思われる。なかでも十日町市は市町村単位では最も多く星峠など14か所、上越市がおぐろの棚田群など7か所、柏崎市が花坂の棚田など4か所、合計25か所の指定を受け、3市で全国の1割近くを占めている。
阿蘇外輪山周辺は、東部の宮崎県側は高千穂町・日之影町・五ヶ瀬町に跨る溶岩台地が占める地域。明治以降に開削された長大な用水路により開田された棚田で高千穂町に川登棚田群など4か所、日之影町に石垣の村など2か所、五ヶ
瀬町に日蔭棚田など3か所ほどある。西部の熊本県側も同様の地形がひろがる山都町に菅迫田など3か所、美里町に夏水の棚田など4か所ほど長大な用水路で灌漑される棚田群が存在する。
佐賀・長崎県にまたがる肥前棚田回廊は、北松浦半島を占める佐賀県玄海町・唐津市・伊万里市、長崎県松浦市などが連なる西海に臨む地域だ。日本一高い石積みの棚田がある佐賀県唐津市蕨野、同じ市内の大浦は本土と福島の間の水道にイロハ島が浮かび、弘法大師があまりの美しさに筆を投げたといわれるほどの絶景。唐津市駄竹、玄海町浜野浦、長崎県松浦市土谷などは西海に沈む夕日が映える棚田として知られている。これらに次ぐ卓越地が山形県全域、新潟県佐渡島、富山・石川県の能登半島、滋賀県琵琶湖西岸、兵庫県但馬地方、岡山県吉備高原などがあげられる。
法面構造をみてみると、全体では土坡136か所、石積み61か所、複合74か所であり、それぞれの比率は50%、22
%、28%である。つまり半分が土坡で残り半分を石積みと複合が分けあっている。ここで日本列島を石川県・岐阜県・愛知県を境にして、それ以東を東日本、以西を西日本とすると、東日本は土坡90か所、石積み11か所、複合
13か所で土坡が90%近くを占めている。これに対し西日本は土坡46か所、石積み50か所、複合61か所で土坡29
%、石積み32%、複合39%で三者が拮抗している。
筆者が1995年に農水省の1988年の資料を用い全国棚田分布図を作成した折には西日本における石積みの比率がこれらの数字よりかなり高く、東日本の土坡、西日本の石積みという特徴をもう少しシャープに示すことができた。その変化は石積みの棚田が崩壊した場合、あるいは畝町直しや圃場整備で改変が行われた場合など石工の不足や費用の問題などで石積みから土坡の棚田に変わったところが多かったことによるものではないかと考えられる。複合の比率が高いのも、このような改変に際し石積みの一部が残されたことを示しているものと思われる。
◇ 認定NPO法人棚田ネットワーク会報誌「棚田に吹く風」124号(2022年夏号)より転載
https://tanada.or.jp/news/kaiho124/